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けん玉文化の流れ
北海道立北方民族博物館(網走市)に、ジャコウウシの角と骨や、トナカイの角などで作られた「けん玉」が展示されている。これは北方諸民族が北の自然のなかで、
狩猟の儀式の道具から、やがてさまざまな素材を利用した子どもたちの遊びへと生まれたものらしい。
この博物館では、東はグリーンランドのイヌイ・ト(エスキモー)から、西はスカンディナビアのサミ(ラップ)まで、広く北方の諸民族の文化を紹介している。
ヨーロッパを源流としたけん玉文化と、北方を源流としたけん玉文化の流れは、子どもたちの遊びのなかから生まれたものなのかどうか、今後の研究課題ではないかと思う。
元和元年(1615年)、大坂夏の陣で豊臣氏が滅んだころ、ヨーロッパではけん玉の原形である「カップ・アンド・ボール」が大流行していた。
うすいガラスでつくられているシャンペングラスにヒモのついた毛糸の玉をカップの中に入れたり、裏側のくぼみにのせて遊んでいたようだ。けん玉は、
英語でカップ・アンド・ボール(Cup and Ball)、フランス語ではビル・ボケ(Bille boquet)、ドイツ語ではクーゲル・ファング(Kugelfang)と呼ばれ、ヨーロッパ各地に存在していた。
けん玉の起源についてはいろいろな説がある。
古い記録で確認できるのは、16世紀のフランス、国王アンリ3世のころ、ピエール・ド・エストワールが「1585年の夏、街角で子どもたちがよく遊んでいるビル・ボケを、
王様たちも遊ぶようになった」と記している。このことはフレデリック・グランフェルドの「GAMES OF THE WORLD」にも、国王アンリ3世が好んで遊んでいたという記述があることからも裏付けられる。
貴族や上流家庭のビル・ボケは象牙などをつかい、彫刻が施されていて大層高価なものであった。現在世界各地にあるけん玉の多くはこのビル・ボケが伝わったものと考えられる。
「日月ボール」の発明
日本のけん玉は江戸時代に当時日本でただ一つ開港されていた長崎から入ってきたものと考えられている。「嬉遊笑覧」という本には、安永6、7年(1777、8年)ころ「拳玉」というものができたとあり、
「猪口の形して柄あるもの也 それに糸を付けて先に玉に結びたり 鹿の角にて造る 其の球を投げて猪口の如きものの凹にうけ、さかしまに返して細きかたにとどむるるなり」と記されている。
糸でつながったボールを引き上げて皿に乗せたり、けん先で受けたりして遊ぶものだ。初めは宴席での雑芸の一つとされ、うまくできなかった者には酒を飲ませたようだ。
けん玉に先立って元禄初期(1688年〜)には、ジャンケン(石拳)などの「拳」も中国から長崎に伝わっている。けん玉が入ってきたという安永6、7年はともに中国の唐船13隻が入港した年である。
丸山あたりも唐人の出入りで賑わっただろうし、彼らがけん玉を花街での遊びに持ち込み、長崎を窓口として広まったことは十分に考えられる。
明治になると、イギリスのファレンタイン著「Girls’Own Book of Amusements」を参考にした児童教育解説「童女筌」以後、大人の遊び道具から子どもの遊び道具へと大きく変化し、
その後、明治40年(1907年)頃から、「けん玉遊び」が広く行われるようになり、けん玉の革命ともいわれる「日月ボール」の発明へとつながっていく。
大正7年、広島県呉市の江草濱次氏が、明治期のけん玉を改良した「日月ボール」を考案し、廿日市市の木工業者に製造を依頼、やがては関西方面から全国へ売り出されるようになった。
大正12年9月の関東大震災後、関東方面でも生産されるようになり、大正13年頃から全国的に大流行した。
大正末期から昭和の初めにかけて、現代のけん玉の基礎というべき技や遊び方が考えられた。当時すでに、「月面着陸」や「中皿極意」「二回転灯台」など、高度な技も登場している。
また「日月ボール」を用いた集団での遊びも行われるようになり、けん玉の主役はすっかり子どもたちになった。
遊びから競技へ
けん玉は技を習得する過程も遊びであり、その技で友達と競い合うのもまた遊びである。競い合いには必ずルールがある。遊びに参加する人数が増えてくると、参加者でルールを作ることは難しくなる。
そこで、公平な立場でルールを作る機関が必要となる。昭和50年(1975年)5月5日、けん玉のルール作りだけでなく、けん玉の普及伝承活動を目的とする「日本けん玉協会」(初代会長 藤原一生)が創設された。
日本けん玉協会が最初に手がけたのが、けん玉の開発であった。公平な競技ができ、繊細な技ができるよう試行錯誤した結果、何回も形を変え、幻とさえ呼ばれた「競技用けん玉」が誕生した。
単純な形の中にも奥深い技の数々が隠されているけん玉には美しささえある。次に協会が手がけたのが「統一ルール」の制定であった。全国どこでも同じルールで「競技」「級・段位認定」が行えるようになり、単なる伝統遊戯であったけん玉に「スポーツ」としての側面が生まれた。
平成14年(2002年)にはNPO(特定非営利活動)法人としての許可を得て、全国規模の各種大会の運営、指導者育成等の事業も拡大している。現在では「昔の遊び」など教育現場への参加や、生涯スポーツとしての普及にも貢献している。
遊び・スポーツの魅力は世界共通であり、けん玉は国際交流の架け橋にもなっている。近年では、海外まで普及活動の場を広げているので「KENDAMA」が国際語になる日も近いかもしれない。
世界に広がる「日本けん玉協会」の輪
NPO法人日本けん玉協会は、わが国における「けん玉界」を統括し、国際的に日本を代表する団体として、けん玉の普及発展を図り、もって国民の心身の健全な発展に寄与することを目的としている。
協会はその事業の主眼として、けん玉の@伝承、Aスポーツ、B教育、C生涯スポーツの、4つの事業を達成するため、「全日本けん玉道選手権大会」など7つのイベントを行っている。
なかでも、「全日本少年少女けん玉道選手権大会」は小学生を対象にした「文部科学大臣杯争奪戦」で今年で21回目となる。けん玉の国際化とともに、協会の海外支部も増え、現在、
イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ・ワシントン州、カナダ、オーストラリア、中国、モンゴルに支部があり、また日本国南極越冬隊には南極支部がある。
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