東京カートグラフィック株式会社
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 地図の学際 
地図の学際 とは

第12号
12号表紙

表紙について

1.
20年後、地図はどう変わるだろうか

2.鳥瞰図で描く絵地図

3.
日本の地図史に残した米国極東陸軍地図局(AMS)の足跡

4.
TCG TOPICS

5.
シリーズ カルトグラムで見る 「近代オリンピックの国別メダル獲得数とGDP」

     

鳥瞰図で描く絵地図
鳥瞰図絵師 村松 昭

宮本先生の意志を継ぐ鳥瞰図

 中越地震の被災者支援団体から、復興を支援するための一助とすべき、新生山古志地域のマップ作りを依頼されたのは、2007年9月のことだった。大地震から3年が過ぎ、ようやく周囲から孤立していた山古志への道路が改修され、一般の人も入れるようになったのだ。

 国土地理院発行の「平成16年新潟県中越地震1:25,000災害状況図 1:25,000地形分類及び災害情報図 山古志」という長い名の地図がある。四六全判、7色刷りの大きなものであるが、これを見て改めて唖然とした。旧山古志村、旧魚沼町、川口町あたり全体が真っ赤なのだ。 これは地滑り、崖崩れを示している。あのあたり一帯、土地の全部が動いたのだ。

 ここ山古志に入っていろいろ調べてみると、地震のだいぶ前に、民俗学者の宮本常一先生がたびたび訪れていて、山村の地域振興のためのアドバイスをいろいろ提案されていた。宮本先生は、日本全国の離島や山村を訪れて、住民たちと話をし、 昔の生活の様子を取材する一方、地域の振興のあるべき道を示されてきた。その際、必ずといっていいほど話されたことに、まず自分たちの土地の様子をよく知ること、そしてそれには、目でみてわかるように立体模型を作ることを薦められた。 山古志の旧役場にも白い模型が建物の隅っこにあったが、残念ながらまだ活用されていないようだった。

 私の描く絵地図は鳥瞰図といわれるもので、鳥が空の上から地上を眺めたかのように描くものである。したがって、宮本先生の模型につながり、先生の意志を継ぐことにもなるのではないかと思った。私がこれまで「奥多摩散策絵図」(下図)など、 そういった絵地図を作ってきたことを依頼者は知っていたのだった。

最初の絵地図は試行錯誤の繰り返し

 そもそも私が鳥瞰絵図を描き始めたのは、三十数年も前のことで、アルバイトで旅行会社のパンフレットを作っていたころのことである。スイス、オーストリアなどへの旅行パンフレットの資料が先方から送られてくる。 その中に必ずといっていいほど、アルプスなどの山の鳥瞰図が入っていた。精密で絵画的にも素晴らしいものであった。そのころ、北海道大学の堀淳一先生が、地図に関するエッセイをいろいろ書かれており、その中でかの鳥瞰図がベランという人の作品であることを知ったのだった。

 私はもともと地図好きであったので、それらのパンフレットもコレクションに加えていった。日本にも昔から、神社や寺院を中心に名所絵地図が描かれてきた。大正時代には吉田初三郎なる人が大いにもてはやされ、日本全国の名所旧蹟の鳥瞰図を描きまくった。 ただ私が鳥瞰図作りを始めようと思った時には、すでにこのような地図はなくなっていた。

 したがって、先生も先輩も仲間もいなかった。全く自分一人であれこれ試行錯誤を繰り返した。幸い印刷関係の友人が多かったのでいろいろアドバイスをもらうことができた。当時、市販されている地図の紙質に不満があった。なにしろ2、3回使うと折り目から破けてしまう。 丈夫だと新しい地図が売れないからという関係者もいた。国土地理院の地形図の紙は丈夫で良い紙であったが、一般には入手できなかった。それで埼玉県の小川和紙の産地に行って、地図用に機械漉きの和紙を作ってもらったりもした。

 こうして最初に作った絵地図は、私の地元東京の奥座敷といわれていた奥多摩のハイキング用のものだった。東京の郊外に住んでいる者にとって、奥多摩は小学校の遠足から始まって何かにつけてよく行ったところである。大人になってからも足を運んだ。 そのころもうすでに、登山、ハイキングの中心は中高年の人たちに移っていた。特に女性が多かったが、彼女たちは地形図が苦手のようだった。そんなこともあってか、私の絵地図は彼女たちに人気があった。

曲がりくねった川に最適な絵地図

自転車にとっての道路の現状は、インフラの不備、そして、市民意識の不備が、まるで鶏が先か卵が先かというような形で、最悪の隘路に入っているといえる。そこに最近の自転車事故の急増だ。 自転車走行のルールとマナーが確立していないこと(つまりは歩道上の暴走自転車が多いこと)と、高齢化が進んだこと、さらには携帯電話の普及で、歩行者対自転車の事故がこのところ急増している(この10年で4.7倍)。死亡事故に発展するケースも出てきている。 環境、そして安全という意味合いで、歩行者と自転車のスペースを分けることは急務なのである。

 奥多摩に続き、秩父、丹沢、高尾山と東京近辺の山の絵地図を出版した。そうこうするうち、川の絵地図も作ってほしいとの要望があった。川歩きをする人が現れ始めたのだ。確かに川は都会に残されたわずかばかりの自然だった。そしてその気になれば、 公園よりもはるかに長い距離を散策できるのだ。わずかに残る自然を求めて集まるのは人ばかりでなく、野鳥もそうらしいのだ。昔より多くの種類の野鳥が見られるような気がしている。

 昔から人は川のそばに居を構えた。川に沿って文化が栄えた。したがって川のそばに神社、仏閣、古墳などの文化財も多く、寄り道をしながらの散策にはもってこいなのだ。

 河口から源流までを何回かに分けて歩く人々もいた。いずれにしても1本の川を中心に描いた地図は全くなかった。役所の出版物はどれも自分の管轄の範囲しか載せてない。行政の枠を越えて流れる川、しかも曲がりくねった川をコンパクトにまとめるには、絵地図が最適である。

 私の川の絵地図は、幅20cm、長さ3m の中に1本の川の源流から河口までをおさめてある。これは印刷や製本上、もちろん予算上の制限からそうなっただけである。経本のようにジャバラに折ってあり、ポケットにも入るので散策に便利である。

 私の絵地図作りは全くのアナログで、国土地理院の5万分の1、2万5000分の1の地形図と現地市町村の情報、そして現地取材である。先日も九州の筑後川流域を取材したのだが、小雨の中をレンタサイクルで、雨のひどい時はバスと徒歩で歩き回ってきた。 3月の山古志の取材は、深い雪の中であった。豪雪地帯の山古志の絵地図を作る以上、一度は雪の季節に行ってみようと雪祭りに合わせて出かけたのだ。パソコンで何でもできる時代かもしれないが、現地に行き、実際に見開きしたものを描くほうが、良いものができると信じてやっているが、 そういうものを求める人がいなくなれば終いである。そしてその時が近づいているのを感じる昨今である。